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走るソクラテス

     2006-11-05 : エッセー

 手段に過ぎないものが目的になってしまうことがよくある。手段を極めると特にその傾向が強い。全日本大学駅伝でのストイックな走りを見ていると、走ることが人生の目標と思えてくる。山梨学院大学の哲人モグスが区間賞を取ったのを見て感じた。

 日曜日の朝、海岸には思い思いの格好をした人たちが走っている。走る姿はそれぞれだが、ロボットのように走っているのが特徴である。テレビや本で知った知識どおりのフォームで、周りの状況にかかわらず同じ身振り、足ぶりで走っていく。極端に手を振る人、そっくり返って走る人。前に幼児がいてもそのままのスピードで突っ込んでいくのは、本に書いてあったとおり走らなくてはという思いが強からだろう。若者だからしょうがないって、いえお年寄りたちのことだ。

 人間は何故走るのか。生物としてみると、捕食のためか、捕食者から逃げるためかのどちらかだろう。鎖から離れたダックスフントを捕まえることができないのを見ると、人間は捕食者として設計されていないのは明らか。群れて生きている限り、非捕食者が捕食者より早く走れる必要は無い。自分よりほんの一寸足の遅い人が犠牲になってくれるから。老人が走るのも生き延びるためにという潜在意識が働いているからだろう。

 走りながら考えた、人間は所詮、隣人を犠牲にして生き延びるよう設計されていると。明日も海岸をジョギングしてこようと思っているのは、いつもあなたより半歩だけ先にいることができるようにだ。しかし長生きをして何をしたいのかという問題の解決が先決だと思うのだが、、、、、、

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ロボットのような

最近のアシモの動きを見るたびそのスムーズさに驚かさせられる。「ロボットのような」という言葉の意味もすぐに変わってしまいそう。「あいつは専務のロボットだ」の意味はどう変化していくのだろう。
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